栃木県に入ったときに 必ず訪れるラーメン店があります。
写真のように何の変哲のない ラーメン店ですが もう15年ぐらいのお付き合いです。
きょうは いつも注文する「ネギ味噌ラーメン」でなく ≪ネギ塩ラーメン≫にしました。
相方はいつもきまって チャーシューラーメンです。 それはそれは チャーシューの分厚いのが4枚鎮座しますので わがほうに1枚わけてくれます。
あまりに柔らかネギが多くトッピングされていますので あるとき 店主に聞きましたら 自宅の畑のネギらしいのです。 さくら市氏家地区は ネギの一大産地でした。
そうそう いま話題は 「軟白ネギ」です。 軟らかくて 甘みがあり どんな料理にもひつようです。 少し遅れ気味ですが 20日の週から 北海道産の軟白ネギが入荷します。
詳しくは 当社 担当までご連絡ください。
この写真は 先日宮代町内を散歩した時の1枚です。立派な屋敷風の佇まいの家ですが よーく見ると屋根には ブルーシートがのせられています。東日本大震災の爪痕です。
屋根の瓦職人は高齢と廃業で数少なくなっており 修理依頼を頼んでも1年以上待つことになるそうです。
今朝も龍ヶ崎の親戚から 庭木をいらないですか?と連絡が入りましたが よく話を聞くと先の地震で修理に必要以上の予算となり 結局建て替えを選択したらしいです。
4年まえにご当主が亡くなり弔問に上がった時には それはそれは立派な総檜造りの御宅でしたが 老夫婦が亡くなり 大きすぎていまの若夫婦には生活しにくい大きさだったようです。
市場も6月になり 天候不順が重なり 野菜の値段が高騰しはじめています。
そのうえ 夏野菜の一大産地である(福島産)がどういう流通にのるか わからない現状では 乱高下すること となるでしょう 。 早く 一日も早く 正常化が望まれる日々です。
先日 北海道に出張に出掛けたことは報告しました。 その折に 訪問先で 春日部から来ましたといって 会社案内やらを提示して説明するに JR沿線と私鉄沿線の差異を感じました。 なかなかところの説明に大変なのです。
案内のなかに春日部駅周辺の描写にクレオンシンちゃんの写真をみて先方が言いました。
ああクレオンしんちゃんの春日部ネ。
そのあと こうも言いました。石川 遼くんは隣町(松伏町)ですヨ。
今日の話題。 今、春日部高校です。
今年で創立110年 いや112年ぐらい(卒業していても覚えていないものです。)になります。
県下で4番めの旧制中学として開設され 今年は 早稲田に100人以上の合格者を出した名門校です。 そこで先日 川内選手と為末選手の対談が行われました。
川内優輝選手。 先の東京マラソンで日本人1番で優勝を果し 陸上の世界選手権に日本代表として出場することとなりました。
この川内選手 現在 春日部高校の事務職員として働くアスリートで≪市民ランナー≫として有名です。埼玉県鷺宮に生まれ 我が社と目と鼻の先にある 陸上競技で有名な春日部東高校をへて 学習院大学時代は 学生選抜の一員として箱根駅伝にも出場し 区間3位になったこともあり その後埼玉県庁に入り 現在 春校に勤務しながら 今後も オリンピックを目指して 市民ランナーとして頑張って行くそうです。
いま、春日部で一番ホットな話題を提供してくれています。川内選手 ガンバレ。
今日は宮代地内を通り東武動物公園駅をめざします。宮代町若宮地内で 電柱にこんな標識?を発見しました。
今をさること64年まえ 大水害があり その時にここまで浸水したという印です。
年配者には記憶がありますが 昭和22年9月にカスリーン台風が関東地方を襲いました。 戦時中に山の木々を切り倒し燃料としてしまったため保水能力が低下したためと言われております。また当時はアメリカ軍を主とする連合国軍の占領下にあり、台風にはアメリカ女性の名をつけ 呼んでいました。
利根川の堤防が栗橋地内(現久喜市)で決壊してから 春日部まで大水がやって来るまでには 1日以上かかったといわれております。現在の春日部市場のある春日部市小渕地区も”ひとの背丈”以上の高さまで浸水しました。また東京の下町まで被害が及び 浸水は38万世帯 罹災者は40万人を超す被害をもたらしました。今回の東日本大震災とは比較に及ばない規模のものですが いつも忘れてはならない災害として この標識を見るたびに 心しておかねばならないことです。