« 医は仁術! ? | メイン | デトロイト市 財政破綻! »

2013年7月16日 (火)

福島の恩人 吉田昌郎氏逝去

Data

東京電力福島第一原子力発電所所長 いや”元所長”でした。

ご存じのように  この7月8日の深夜に食道癌のためにお亡くなりになりました。 享年58歳です。

2年半まえの あの”東日本大震災”後の大津波により 東電福島原発事故の処置に 懸命の努力を傾け 未曾有の事態に現場で指揮を執り続けた方です。1,000年に1度と言われる 誰もが経験したことのない事態に毅然と対応し 最小限の被害で食い止めたといっても過言ではないでしょう。東電が事故後、検証のためのビデオを出し渋ったことはみなさん 記憶にあることでしょう。

ヤクザの世界にあるような ”暴言”ともいえる 東電本社の上役からの指示相手に「へい 解りました」と言いながら 現場で考えられる最善な指示を出していたのですから。。。。

おまけに当時の菅総理のちんぷんかんぷんの行動にまで付き合わされていたのですから。。。

先日のカンブリア宮殿で 福島ハワイアンセンター、常磐興産会長さんは当日 東京出張で戻ることもできず 『現場の人間に任せきる』ことで危機を回避したと言っています。

事情は違いますが やはり東大出身で固めた「東京電力 本社」はおれたちが一番 と言うところが強すぎて 現場の最前線に”任せる”ことが出来ないのでしょうね。

先日も 女性の大臣が 「原発関連で 一人の死者も出ていない」と言ってヒンシュクを寡っていましたが あの吉田所長の判断が違っていたらと思うと 背筋が寒い思いがします。

この話も少し 飛躍しますが 第二次大戦中に 「東洋のシンドラー」と言われた 日本政府の領事館員であった リトアニア領事館の杉原 千畝氏も当時の日本政府の決定に背いて6,000人ものユダヤ人に難民ビザを発給し続けました。

戦後50年後に その勇気ある行動が”顕彰”されましたが、吉田所長の採った行動は 在野の人々の称賛の念と 東電や政府関係者との”想い”の隔たりを感じる気がするのは わたくしだけでしょうか?

ここに ご冥福をお祈り致します。