いまだ健在であった”行商専用車両”
京成電鉄は 戦前からの歴史を持つ『行商専用車両』を3月いっぱいで廃止した。
地元の新鮮な農産物をぎっしり背負った行商の人が東京方面に向かう姿は早朝恒例の風景であったが、高齢化と共に利用者が減少し、ここ最近では1日20人ていどであったらしい。
専用車両は1935年から始まり 戦後の49年からは佐倉ー上野間で3両編成の専用列車が走り 一時はその専用列車が1日3往復 成田始発までに延伸した時代もあったらしい。
昭和3~40年代には 確か常磐線にも1~2両繋がれて走っていて 東武線は”行商用専用車”こそ記憶がないが 栃木市辺りからの”野菜売りのおばさん”が集団で乗車している姿を覚えている。
当時の流通機構では まず採りたて新鮮野菜や 産み立ての鶏卵 搗きたての白米 の需要が多く 小料理屋さんや お屋敷町の住人への需要が多くあり おばさん方も働き盛りの年頃の方が多く 現金収入があって 需要と供給のバランスがとれて 繁盛していたことが思い出されるのである。
ただ一般車両に乗せると 通勤者とのトラブルが多く 専用列車という発想が生まれたらしいが 乗車料金に荷物代も入り鉄道会社にとってはお得意様であったらしい。
京成というと 日暮里ー成田空港間30何分の【京成スカイライナー】をイメージするが いまだにそういう車両が走っていたとは 乗客を大切にする会社であったのである。
これでまたひとつ ”昭和のレトロ風景”が消えていった。